当家の祖は近江国(現在の滋賀県)出身で、代々鉄砲鍛冶を生業としていたようです。
そして初代が徳川家に腕をかわれて江戸へと移って以来、幕府御用達のご印判師となり御用とし今でいう注文書や印章見本を残していきました。
現在では戦時中にその大半が燃えてしまったものの天明8年(1788年)から明治元年(1868年)までの77点の史料が残っております。
平成11年度に中央区民有形文化財に登録され、当店にて大切に保管しております。ここではそのほんの一部とはなってしまいますが、ご覧いただければ幸いです。
将軍が発給する文書には花押を据えたものと印章(朱印・黒印)を捺したものの2種類があり、それぞれの用途によって使い分けられました。
花押とは、本来自署の代わりに書く記号のことで、書判(かきはん)と言い、領地宛行・安堵状や、将軍の直状である御内書に用いられました。
朱印と黒印がありますが、どれも実務的な文書に使われ、大名に対しての領地で支配する事柄や軍事的な命令に用いられました。